第1話:「共にいるインマヌエル」
- pasonan
- 2025年9月28日
- 読了時間: 3分
俺の願いはシンプルだ——インマヌエルと共に歩く場を届けること。
AXISを始めてから、まだ3週間。
イエス様と二人で始めたこの場所。
ホームページは作ったことあったけど、毎日ブログを書き、ジモティで募集し、Xにも投稿して──
やったことのないことも、たくさんあった。
でも、全部“インマヌエルと共に歩く”という気持ちから。
ある日、とある牧師さんに連絡した。
始めるにあたって、どう思うか?を聞きたかった。
YouTubeもやっていて、信頼できそうだったから。LINE通話で話した。
> 牧師さん:「やったらいいと思います」
> 俺:「ホームページ見ました?どうでした?」
> 牧師さん:「見ましたよ。熱い想いは伝わるけど、既存教会と何が違うかわからない…」
──え?マジ?
アクセスログを確認してみたけど、その人が実際に見た形跡はなかった。
ホームページには「牧師なし、献金なし、奉仕なし」と明記してあるのに、このコメントはどういうことだろう?
本当に見ていなかったのか?
それとも、違いを違いとして認めなかったのか?
どちらにしても、正直違和感が残った。
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通話切った後の俺。
正直ムカついた。
ホームページ、時間かけて頑張って作ったのに。
見てもないのに「見た」と言う。そして違いがわからないって。
心はズタズタに引き裂かれた。
でも……逆に笑っちゃった。(笑)
「なんだこの人、全然信用できないじゃん。もうYouTube見るのもやめよう。信頼できるのはイエス様だけだね」って思った。
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でも、牧師さんも一人の人間。牧師さんも罪人。間違えることもあるし、完璧ではない。
人は傷つけ合う。誤解もする。拒絶もされる。否定もされる。
それでも伝えたいのは、傷ついてもいい。拒絶されてもいい。
なぜなら、俺の信仰は“人の言葉”じゃなく、“共にいる神”に根ざしてるから。
“見たふり”じゃなくて、“本当に見てくれている”方がいる。
その方は、隣に立ってるだけじゃない。共に歩いてくれてる。
> 「見よ、処女が身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(マタイ1:23)
そして、仲間が一人増えた。
その一人で、俺の信仰は深くなった。
小さな始まりでも、ちゃんと意味がある。
> 「だれが小さな始まりの日を軽んじたか。」(ゼカリヤ4:10)
AXISは続く。
イエス様と一緒に、ちゃんと歩いている。
止まらない。止まれない。
だって、動いているのは俺じゃない。イエス様だから。
もしあなたが誰かに拒絶されて傷ついているなら——
それでも大丈夫。共にいるインマヌエルが、あなたの隣にもいる。
受け取ってほしいのは、まずその“共にいる方”だ。
俺はそれを届け続ける。歩くだけだ。




